映画「街の上で」を見た話

 横になって寝てる時の口の中の舌の位置ってどうなっている

 

口の中の上に触れているのか下に付いているか。そんなことを考えだすと気になって舌が動きだして眠れない

 

起きてパソコンを開いて、そのことを言葉や感情に置き換えてみようと試みるけどうまくできない

結局は違和感を抱いた正体は頭の中にある記憶やなんかが横になって眠りにつく自分をこのまま寝て過ごしても良いのかと自分自身に喚起しているそのものではないのか。

なんて古い小説のような遠回しな言い回しの文章を好んでいる自分自身が考えをストップさせて階層を上塗りのように積みたしている。

 

考える感情をストップさせ上塗りのように重ねていくことが多くの人にとって普通のことのようだと最近気づいた。

そうしないと人は成長しないし一つのことに固執して身動きが取れなくなると日常生活に支障をきたすかもしれないから。

そうやって忘れることも身軽になる方法で俗に言う大人になるみたいなことの正体の一つだと思う。

 

それでも一つのことに固執し取り組み違和感の正体に辿りつく為に時間を忘れ没頭してしまうことが少しでも幸せだと感じてしまう人もいるだろう

そういう人は器用に見えるようで実はただものすごくそれが何か使命のように感じて行動しているんじゃあないのか

側からみればすごい努力でもあり、その人にとってそれが将来への希望を見出す術でもあるのだと思っているのだろうか。

 

 

20年前確かにあの場所でうごめいていた感情を思いださせてくれる映画に出会った。

 

「街の上で」

2021年公開の映画。ネトフリにて遅まきながら2024年に見ちゃいました。